混沌が生み出す「今」との不一致について

今、地球上にはますます混乱と混沌が広がっていると、多くの人が感じています。
そうした中で、「今」と不一致な状態にある人々をよく見かけます。
一見すると合っているようでも、何かしら違和感を感じることもあります。

いったい何が起きているのでしょうか?
叡智の小箱に問いかけてみました。

叡智の小箱より

  • 濁流の中で自分の信念にすがりついている
  • すがることは停滞、後退を意味する
  • 自分を頼りにすることと自分の信念を頼ることは違う

溺れる者は藁をもつかむ

今の私たちは、地球上に住んできた人々がこれまで経験したことのない状況にいます。
地球そのものが新しい領域にいこうとしているのですから、それは当たり前ともいえることですが、直面する者にとっては厳しいことです。

この先いったいどうなるのか、世界はどこに向かっていくのか、誰もわかりません。
その一方で、時はとてつもない速さで進んでいき、立ち止まってゆっくり思いを巡らせる隙すら与えてくれないようにも感じられます。

このような圧倒的な混沌の中、濁流に揉まれながら手を差し出し自分を支えてくれるものにすがろうと、必死でいるのが今の私たちの状況です。
それは、特定の人や組織や思想だったりするかもしれません。

でも、たいていの人たちはずっと賢いです。
外に頼るべきものはなく、自分自身を頼るしかないのだということを知っています。
多くの人が、自分自身の価値観・信念に基づいて行動しているようです。
ところが、そういう「賢い人たち」が自分の信念にすがりつくことが、不一致を引き起こす原因となっているのです。

すがることは即、停滞であり後退であるということ

激しい流れの中で何かにすがる、なんとか流れから抜け出ようとする。
それは正しい行為にみえますが、実は現状に留まることや後退を意味します。
なぜなら、私たちが今身を置いている流れは、変化への流れだからです。

私たちはとてつもないスピードの中で、いくつもの選択を迫られています。
そして、自分の価値観・信念に基づいて決定をくだし、流れの中を進んでいきます。
ところが、一旦その選択・価値観・信念を絶対のものとしてしまうと、途端に流れに逆らうことになります。
すべてが流れている状況の中では、過去にくだした選択・過去の状況においての価値観・過去の自分の信念は常に「過去のもの」であるからです。

今この時には既に、それは何の役にも立たない過去の遺物と成り果てているかもしれません。
ですから、どれほど自分の選択・価値観・信念に確信を持っていたとしても、それに固執したら今の流れとずれてしまうのです。

自分を頼りにすることと自分の信念を頼ることは違う

では、私たちには何も頼りにするものはないのでしょうか?
そんなことはありません。
自分自身を頼りにする、それはまったく正しいことです。

でも、少し勘違いがあるようです。
それは自分を頼りにすることと、自分の信念を頼りにすることは違うということです。
信念もひとつの思考パターンです。
私たちの中で生み出され、やがては消えていくものです。

そのような不安定なものにすがるのは、おかしな話です。
頼るべきものは、完全なものであるはずですから。
とすれば、頼るべきなのは私たちから生み出されたものではなく、私たちそのものです。

濁流の中での一瞬一瞬の選択は、やがては過去のものとなってしまう価値観や信念によってなされるのではなく、今の自分自身からなされるものでなくてはなりません。
価値観や信念に照らし合わせて、とかではなく。
今の自分の内側から湧き出る方向性にしたがって、今この時に何をすべきかを選ぶべきなのです。

なんだか難しいことのように思えますが、実はよくいわれていることです。
自分の内なる声、直観に従おう、ということです。
でもこれは、何も考える必要はないということではありません。
クリアに自分も他人も状況も見ていこうとする、明確な意識が必要になります。
そのうえで、自分自身の内なる声に耳を傾け、それに従うのです。

明確な意識、つまりどこまでも公平で客観的な視点で状況を見ようとする意志。
それが内なる自分、頼るべき自分としっかりつながるベースになります。
ただただ、「ハートに聞きましょう〜」と安直に言うだけで、自分の枠組みの中でしか考えられなければ、結果的にそのハートの声が単なるエゴということにも気付けません。

今の状況を冷静に、しっかりと受け止めることのできる精神力が求められています。
聖人ではないのだからそんなことは無理だと思うかもしれません。
でも、そうありたいと思うことは誰にでもできます。

自分自身という完璧なライフジャケットを誰もが身につけています。
ですから、流れにのまれることは決してありません。
流れに身を任せ、その流れが行き着こうとしているところに楽々とたどり着くことが、私たちの誰もができるのです。


最後までお読みいただきありがとうございます。
↓応援のクリックよろしくお願いします↓

<ほろ苦あまいメルマガ>もどうぞ
チャネリングの裏話や、ブログではちょっと書けないフカい話などをお届けしています。
⇒メルマガの登録はこちら


バラバラからくる批判と頑なさと孤独について

この頃、多くの人が自分の立場と違うものに対する批判的な感情が、強くなっているようです。
もともと人にはありがちなことですけど、他者への攻撃はさらに強く、自分の見方に頑なになっているような感じです。
なぜこんなことが起きているのでしょうか?

叡智の小箱より

  • 今までは、道が違っていても同じ平面上にあった
  • しかし、今は上から見たら違う位置にいるだけではない
  • 上からも下からも、横からも、斜めからも、あらゆる方向からみてそれぞれがバラバラの位置にいる
  • したがって、すぐ隣にいるように見える人であっても、その人との間には深い溝があり、まったく同じ立ち位置にいる人はいない

全方向的にバラバラになっている

行く道は人それぞれ、道は分かれるもの。
というのは、これまでも言われてきたことです。
でも、この道の分かれ方が、同じ平面上で右と左に分かれるどころではなくなっています。

今までは上から見たらあっちとこっち別々のところにいる、というだけでした。
ところがもう、横から見ても違う、斜めから見ても違う、というようにまるきりバラバラに存在するようになってしまいました。
これは、地球のシフトチェンジにともなって起こっていることです。

これまでは立場が違うといっても、同じ大地の上に立つ者同士という共通点があったのが、今はまったく別のところにいる。
この徹底的な隔絶した感じが、自分の立ち位置・価値観と違うものへの猛烈な違和感を生み出し、それが批判に繋がっているようです。

たとえ自分の隣の人が、同じところにいるように見えたとしても、その間には底知れない深い溝がある。
そんな状況です。

孤独が生み出すもの

これは、厳しいことです。
自分と同じ位置にいるのは、自分ひとり。

他者を批判し、必要以上に自分の立場にこだわるのは、バラバラな状況が生み出す孤独感を隠すための行為なのかもしれません。
孤独に負けそうな弱い自分を押し隠すために、正しい道にある(と思い込んでいる)自分を誇示し、他人をこき下ろしているのかもしれません。

でも、それぞれがバラバラであるというのは、本来当たり前のことです。
そして、バラバラでありながら全てが繋がっているというのも、忘れてはならないことです。

この状況を儚むのでもなく、悲しむのでもなく、ただ淡々と受け入れていくことが、自分自身も他人も受け入れていくことに繋がっていきます。
本当に自分が正しい道にあるのだという確信を持っているのなら、他の人の道を気にすることもなくなります。


最後までお読みいただきありがとうございます。
↓応援のクリックよろしくお願いします↓

<ほろ苦あまいメルマガ>もどうぞ
チャネリングの裏話や、ブログではちょっと書けないフカい話などをお届けしています。
⇒メルマガの登録はこちら


八幡神が教えるチャネリングの心得

チャネリングのポイントは大きく分けて2つあります。
ひとつは、チャネリングの対象と正しく繋がること。
もうひとつは、チャネラーの意識のもち方です。

ひとつめは、「なんちゃって神」のようなものと繋がらないように、波長をチャネリングの対象とあわせることで、やり方がメインとなります。
そして今回はふたつめのポイント、チャネラーの意識のもち方について、神楽坂・筑土八幡の八幡神(応神天皇)が教えてくれたことをもとにまとめました。

筑土八幡

<チャネラーの意識は必ず反映される>

まず、チャネリングの前提としてチャネラーの意識・エゴが反映されるものだということを自覚することが大切です。
チャネラーの意識を反映しないように、と一般的には言われています。
その通りに思えるのですが、実は矛盾のある表現でもあります。

というのも、そもそもチャネリングで受け取る言葉というのは物理的に発声された言葉ではありません。
エネルギーの波長として受け取ったものを、チャネラーの意識の中で人間が使う言葉に置き換えて表現されます。
つまり、チャネリングした内容を言語化する行為そのものが、チャネラーの意識を通じて行われるということです。
ですから意識を反映させないというのは、どだい無理な話しといえます。

もちろん自分の意見をチャネリングで得たものであると勘違いするのは、避けなければいけないところです。
そのうえで、まるきり自分の意識と関わりなくチャネリングをしているのではないということを自覚することが大切です。

<正しく伝えることをさぼらない>

そして、チャネラーにとって一番大切なこと。
一番心しておかないといけないことは、チャネリングメッセージの責任は自分自身にあるということです。

これには、ふたつの意味があります。
まずひとつめは、正しく表現できるよう常に努力すること。

以前拝見した、英語の翻訳をしている方の言葉が印象に残っています。
「翻訳には、英語力ではなく日本語力が必要だった」
英語でも見えない存在の言葉でも同じです。
元のニュアンスを完璧に伝えることは、しょせん無理な話しです。
でも、その中で最大限伝わるようにするために、常に自分の言葉の引き出しを量も質も上げていく努力が求められます。

そのうえ、チャネリングでは英語の翻訳と違って原文を確かめることはできません。
ですからなおのこと、正しく伝える努力が求められます。
人は自分の理解の範囲内でしか表現することができません。
ということは、その範囲を広めれば広めるほど正しく伝えられる確率があがります。
本を読んだりして、常に自分の知見を深めようとする姿勢が必要です。

瞑想などの実践がすべてだという意見もあるでしょう。
体験に基づいたものと頭での理解が違うというのは当然のことです。
しかし、感覚や体験に重点を置き過ぎると「言葉で表せない」ということを言い訳に使ってしまいます。
チャネラーは「言葉で伝える」のですから、言葉を軽視することはできません。
どちらか一方ではなく、自らの体験と知識の両方が求められます。

<チャネラーが責任を持つ>

そしてふたつめ。
メッセージの責任はチャネラー自身にあるということです。

多くのチャネラーは高次の存在が言ったことを、自分のエゴはいっさい挟まずただお伝えしているだけだと考えています。
だから、メッセージの内容に関しては責任を持とうとしません。
「純粋な預言者」という都合のいい立場を保持しようとします。
ですが、ネットなどで発信しているのは高次存在ではなくチャネラーなのですから、当然文責はチャネラーにあります。

そして、先にお話しした通り、メッセージには必ずチャネラーの意識が入っています。
だからといって、それでチャネリングメッセージの価値が下がるわけではありません。
つまり、高次存在⇒チャネラーという一方的なものではない、ということです。
チャネリングは、高次存在とチャネラーとの共同・協働作業なのです。
つまり、チャネラーはチャネリングの時には高次存在と共に創造行為をしているということになります。

チャネリングは、ただただ仰いで神託をこうむるという行為でもなければ、友達感覚でおしゃべりするものでもありません。
チャネラーと高次存在の共同創造の行為です。

これが、チャネラーとして一番大切な心得です。


最後までお読みいただきありがとうございます。
↓応援のクリックよろしくお願いします↓

<ほろ苦あまいメルマガ>もどうぞ
チャネリングの裏話や、ブログではちょっと書けないフカい話などをお届けしています。
⇒メルマガの登録はこちら