異世界(異次元・別宇宙)の住人より

 

┃異世界(異次元・別宇宙)の住人より

のっぺらぼうの世界

何もない
何も起きない

つまらないのか
これが平穏なのか

プラスもマイナスも
悪とか善とかいうもの

何もない

光?
闇?

この世界
この宇宙

こんな世界はうんざりだ

そう思う僕は
ここでは異常者か

そうでもないみたい

どこも同じようだ
誰でも

いつでも
どこにいたって

「僕たち」は

この世界に
不満を持つもの

いろんな存在の雑多なひとこと「それでいい」

たくさんの様々な存在がちょっと言いたいことがあるようでしたので、一言ずつざっと並べました。
あまり深読みせずにさらっとご覧ください。

 

┃いろんな存在の雑多なひとこと

天の極北(天の中心)
「捨てろ 捨てろ」

異世界の神
(この世界を通り抜けるのに)
「ずいぶん通りづらくなってるなあ」

天使群
「まあまあ そんなに焦らずに」

鹿
「飢えをしのぐのは食べ物ではない」


「びっくりすることはないさ
そんなものさ」


「我々は移動する
それが当たり前」


「きりきり舞いしているのは人?鳥?」

もぐら
「表に出ずに潜っておこう」

風の精霊
「うそつきは誰だ」

大地の精霊
「みんな騒ぎ過ぎでは?」

天空の狩人(射手座のカイロン)
「はるか高みをさして」

月の女神
「それでいいのです
それでいいのです」

「救い」を得るには

あっという間に10月になってしまい、今年の終わりも見えてきました。

そんな時の速さとは逆に、どうにも緩慢な感じで閉塞しているような気力がそげてしまうような、、、という感覚もあります。

自分自身の中の穏やかさを感じて新たな世界とか変化とかを実感するものの、周りを見渡せば相変わらずのひどい有様にうんざりしている方も多いかもしれません。

今日はそんな時でも、夢や未来や他の星や瞑想の中に逃避するのではなく、今のこの時を生ききるための「救い」についてのお話しです。
 
「逃避」ではなく「救い」です。

 

* 

地球はかつて人類が経験したことのない局面にありますが、人々が直面している状況としてはこれまでの歴史のほうがよほどハードでした。

ですが、そういう中でも救いはあり、それが人々を支えてきたのです。

 

日本で大きな混乱と転換のときというと、平安から鎌倉、つまり貴族社会から武家社会への切り替わりの時代があげられます。

法然の浄土宗からはじまった鎌倉仏教の波は、それまで「救いようがない」とされてきた武士や庶民に救いを与えました。
だからこそ、形骸化したとはいえ今にずっと続くような広がりをみせたわけです。

 

比較的最近の話では、ナチスによって強制収容所に送られたユダヤの人々があげられます。

過酷な状況によって、ガス室に送られるまでもなく次々と人々が亡くなっていく中で、ユダヤ教の祭司がいた房では生き延びた人々が多かったそうです。

 

組織宗教というのはとかく悪い点ばかり目立ちますが、それは人間が歪めてしまっただけで、元の元を見れば、そこには信仰による確かな救いがある、ということがわかります。

といっても、必ず宗教が必要なのではありません。
肝心なのは、信仰です。

 

宗教は、信仰を通じて確かな救いを人々にもたらす様々な手段のうちのひとつにしか過ぎないのです。

これこそ、といいますか、これだけが宗教の本来の役割であったのです。
この役割を多くの人が見失っているために、極端に盲信したり、逆に宗教のすべてを拒絶したりしてしまうわけです。

 

救いをもたらすのは信仰ですが、では、信仰とは何か。

それは、

「人が理解できない何かがある」

という確信です。

 

「人が理解できない何か」とは、絶対的真理であり、仏や神や無、タオ、大いなるもの、完全なるもの、ひとつなるものなどといわれてきたものです。

人の認識の範囲外、理解の範囲外にあるもの、それが確かにあるのだと信じること、そして常にそのことに心を向け続けることが、信仰の本質なのです。

それを多くの人がわかりやすいように、実践しやすいような形に整えたのが伝統宗教などの教えだといえます。

 

ところで、スピリチュアルに興味がある人ならば、「人が理解できない何か」があるということはほぼ信じているのではないかと思われます。

ところが、ほとんどの人は惑っているようにしか見えません。
それはなぜかといえば、救いが機能していないために心の底から安心していないからです。

 

ではなぜ救いが機能していないのか。

それは、「人が理解できない何か」つまり絶対的真理に心を向け続けることができずに、相対的世界のあれこれに心を奪われているからです。

相対的世界のあれこれとは何かといいますと、自分や他人の行為によって得られる利益です。

 

ここで注意していただきたいのが、何かを信仰して何かの利益を得ることが救いではないということです。
ほとんどの人が救いと利益をごちゃまぜにしています。

ただ信じることそのものが、救いです。
だからこそ「信じるものは救われる」といわれるのですね。

 

また、自分では真理に心を向けているつもりの人でも、真理そのものではなく自分で理解可能なものにすり替えています。
たとえ正しく思えても、理解できるということは、相対的世界のあれこれのひとつでしかありません。

禅ではイメージとして出て来るものを魔境として退けますが、具体的なイメージだけではなく光だったり、イメージを伴わない感覚だけのもの、そしてこれが最も紛らわしいのですが「概念」でさえも、魔境であり相対的世界のあれこれのひとつなのです。

 

といいますか、そもそも修行によって悟りを得られると思い込んでいるのが大きな間違いです。
なぜなら、悟り、つまり絶対的真理は相対的世界の範囲の外にあるものです。

それゆえに、行為と結果という相対的世界の範囲内のものとはまったく関係ありません。
このブログでは何度も作為を捨てよ、とお話ししてきました。

 

引き寄せ、ヒーリング、修行、あるいはどこかの星に還ること、、、

何かをして何かを得ることが悪いわけではありません。
興味を惹かれるものは人それぞれ、やることも人それぞれですから、それはそれでいいのです。

ですが、それらを第一にしてしまったら、歪んだまま進んでしまうことになります。
進むどころか、根本の根本をスルーしているのですから、まったく変わらず同じことの繰り返しになってしまいます。

 

だからこそ、前回天童からのメッセージで

”ずっと昔から
ずっと同じことを繰り返している”

といわれてしまうのですね。

 

*

始めに申し上げたように、今はなかなかハードな状況です。

ですが、そういう状況でも、自分自身の中に、あらゆるところに、どんな時でも、穏やかさと静けさを感じさせてくれる確かな救いはあるのです。

 

真理そのものを知るまでは、 ―この「知る」は通常の認識を超えた「般若、智慧、sophia」といわれるものですが― それまでは、救いがなければ釈迦が苦しかないといった人生を過ごすのは困難です。

だから人は困難から目をそらし、逃げようとします。

真理に心を向けることなしに出家したり瞑想に励んだり、あるいは地球人より高い段階と思われている異星人や天界人になったとしても、それでは「何も変わらない」のです。

 

ですから、救いをもたらすほんものの信仰を得てください。
ただ真理にのみ心を向け続けようとしましょう。

真理は絶対的であるがゆえに、相対的世界における努力とは何の関係もありませんが、信仰も救いも相対的世界の範囲内にあります。

ということは、得ようと思えば得られます。
 

 

夢を見るのではなく、あるいは夢からも現実からも目をそらして虚無に陥ることなく―

辛いことも楽しいこともあるこの日常を、目を開けたまま過ごしていってください。
ただ、真理のみに心を向け続けていこうと思いつつ。

これが、今私がみなさんにいえる精一杯です。

 


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目を覚ませよ!:天童

今日は秋分となりましたが、メッセージはそうとう辛口です。
天界の童形のものですが、地球のこと全体をとてもよくみている存在のようです。

 

┃天童のメッセージ

  
五穀豊穣
地の恵み

おまえらが得るのは
何の恵み?

 

鈍いなあ!

今この時においてさえも

いつまでも眠らせたまま
目覚めようとしないのだから!

いつまでも夢見たまま
心地よい夢を追いかけたまま

 

なあ
目を覚ませよ!

おまえたちが追いかけている
「あれ」は

偽物だってことなのさ

それを認めるのが怖くて

それを失くしたら
すべてが台無しになる気がして

 

ねえ
あんたら!

自分のバカさ加減を知れよ

ずっと昔から
ずっと同じことを繰り返している

あんたたちのことをさ!

二極化と全体と・真のワンネスとは

地球の変化にともない二極化が進行している、とよくいわれます。
二極化、分岐、分化、道が分かれる、、、等々の話題は、転換期には必ず出て来るものです。

ネットなどで語られることが間違っている、というわけではありません。

絶対的真理以外のもの、つまり認識の範囲内、理解の範囲内である相対的世界は(どれほど高度なものであろうとも)多層多面多角的ですから、そのように見えることもあります。

ですが、だからこそ、この大いなる深化の基調にあるときに、たったひとつの見方にとらわれないようにしたいのです。

 

*
一つひとつの個が集まって全体としてひとつである、というのが通常のワンネスの理解です。
また、すべては根源(ソース)から生まれたのだから本性としてはひとつの同じものである、ともいわれます。

道が分かれたように見えるあの人も、地球の裏側の見も知らぬ人も、宇宙の最果ての意識体も、すべては繋がっているのですから、自分にとって「関係ないもの」などありえません。

ですが、これらの捉え方には、まだ個としての分化があります。
今回はさらに深くつっこんでいきます。

 

全体が無数の個によってつくられている、つまり「全体は個である」と同時に、「個は全体である」のです。
個と個、あるいは個と全体という「関係性」ではなく、個=個、個=全体という「ひとつ」なのです。

これが何を意味するのかというと、「あなたが世界全体そのものである」ということです。
そして当然ながら、道が分かれたように見えるあの人も世界全体そのものであり、地球の裏側の・・・(以下略)、です。

羅列していきます。

 

・あなたが世界そのものである
・(道が分かれたように見える)あの人が世界そのものである
・あなたがあの人そのものである
・あの人があなたそのものである

 

「あなた=あの人=世界」です。
すべての内にあなたがあるとか、あなたの内にすべてがあるというよりは、あなたは「それらそのものである」のです。

ワンネスはキラキラした夢物語ではなく、ただたんにあなた自身であるということです。
(あるがままともいえる)

ここにおいて、”自分と関係ない人・こと”などありえないということがいえるのです。
イエスのいう隣人愛や仏教の慈悲は、博愛主義でも理想主義でも道徳でもない、たんなる真理の投影なのです。

 

今回のテーマとは少しずれますが、これまでの話をふまえると、生きる意義を求めるのは大いなる勘違いだということがわかります。

なぜならあなたがいるという、ただそのことによって世界があるからです。
そのうえ何の意味を求めるというのでしょうか。

以前私は人生に意味などない、とちらりと言ったのですが、その理由のひとつはこういうことなのです。
(あるがままでよい、ということ)

 

*

この先、宇宙は、地球は、みなさんは、様々な局面を迎えます。
ですが、そういったひとつひとつの現れては過ぎ去るレベルのことを重要視する必要はありません。

ましてや、ほんの一時の状況についてなされるほんの一面からの理解など、それがどれだけ魅力的に思えても、精巧に見えても、ただたんに「へえ〜」でいいのです。

「こういうこともあるのだな」
「そういう見方もあるのだな」

くらいの受け止め方で十分なのです。

そういう中で、何かが必要だと思ったらそうすればいいし、必要でないと思えばそれでいいのです。
なんといっても、あなたがすべてであるがゆえに「間違いなどない」のですから。

 

今回の内容を、変に理解しようとしなくても大丈夫です。
そういう態度はかえって邪魔になります。

よくわからなくても、ただ心の片隅にでも置いておいていただければ、それで十分です。
それだけで、一時の幻に流されがちな人間という生き物を、つなぎとめておく助けになってくれるからです。

 


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天使のメッセージ:頭を垂れれば光を受ける

今回のメッセージは天使からですが、人が創りだした天使像ではなく、特定の名前を持たない素の天使です。

特定の宗教にとらわれずに、メッセージの意図を感じ取っていただければと思います。

 

┃天使のメッセージ

我々が光を遮ることなどありません

あなたの頭にそそがれる甘露
我々は祝福する

ところがあなたがたは不満なようだ!

我々に仕事を求める

あなたがたがより幸福になれるように
いつも何かをしろと我々を急かす

脅しといってもよい

思い通りにならなければ
呪うのだから

 

自分たちが何をしているか
わかっているのか?

わかっていれば
頭を垂れる以外にすることはないのに

それこそがまことのバプテスマ(洗礼)

神の前に身を低くせよ

そうすれば神の光をより多く
受けることができるのだから

流れに逆らってどうする?:玄武

今日から8月です。

┃玄武のメッセージ

終わりを告げる鐘の音
打ち鳴らすのは何か

水 水 水

のみ込まれるのだ
すべて

冷たい熱い水
極まることはない

すべてが死に絶えたとき
きらめきの中の若葉

流れに逆らってどうする?

その身を浸す水に
ただ任せていくがよい

退治されるべきなのは:テュポーン

ギリシャ神話に登場するテュポーンは全世界を覆うほどの巨大な体を持つ怪物で、ゼウスによりエトナ火山に封じられたといわれています。

┃テュポーンからのメッセージ

昔々にお前たちが封印したもの
それが今のお前たちを苦しめている

「悪者は消せ!」
よく聞くセリフだ

「手放しなさい」
ほんとうに手放せると思っているのか?

 

甘い!
甘すぎる!

「それ」が剛強だからではないぞ
「お前」が強情なのだ!

 

何を消すのか?
何を手放すのか?

ほんとうに邪魔なものは何なのか?

 

「対象」にばかり捉えられ
すべての原因をそいつのせいにする

まるで「お前自身」には
何の咎もないように

 

なあ
そろそろ観念しろよ

「お前」が退治するんじゃない

退治されるべきなのは

「お前」の方だ

正しいゴールというものがもしあるとしたら:大天使ウリエル

ウリエルとは「神の光」「神の炎」を意味しており、旧約聖書においてヤコブと格闘する天使ではないかともいわれています。

┃炎の人ウリエルのメッセージ

どうだ? 最近は?

何やら右往左往しているようだが

思い出してみろ
かつてのお前を

私にすがりついて離さなかった
必死だったお前

それが今では
ずいぶん余裕がある振りをして

自分自身がわかったかのようにしている

それが自分に対する制限であるというのに

 

なぜ神を求めないのだろうな
お前たちは

真の神を

積み上げてきた余計な知識
それがお前を邪魔する

ただ神のみを求めることを
負けだと思っている

自分が丸裸になるのが怖いだけ

知識経験
それらがすべて意味のないものだということを
認めることを恐れている

それを恐れていることに気づかず
正しいゴールに向かっている自分を固く信じている

正しいゴールというものがもしあるとしたら
それは正しいゴールと思われるようなものではない

それを知るのはひとり神のみ

だからお前たちはあれこれ考えず
ただ神を求めればいいのだ