平行世界の集約とこの頃のしんどさの関係など

東京はこのところずっと雨模様で、しかも今日は夏日(最高気温25度以上)に届かず肌寒いくらいです。
今は真夏のはずなのですがね、、、(^^;)

でも、スーパー猛暑になるという予報どおりだったら、大変だったろうと思います。

暑さそのものにもやられますけど、今は観測データとは違う部分での「異常」で肉体的にも精神的にもキツい状況がMAXになっていますので。

まあ、今に限らずずっとMAXなのですがね、、、(^^;)

 

ということで、今日は雨(湿気)の集中とこの頃のしんどさの要因のひとつと思われることについてです。

いつも申し上げていますが、こういう類のものはあくまでも多層多面のうちのほんの一隅を暗示しているだけです。

しかも、今回取り上げる平行世界というのは、とてもわかりずらいです。
といいますか、本来わかるようなものではないので表現にあまりこだわらず雰囲気でお読みください。

 

*

ざっくりわかりやすい言い方をしますと、過去現在未来は縦軸、平行世界は横軸となります。

といっても、縦軸のいわゆる前世というものも、実は確固たるひとつの人格を成す魂が連綿と生死を繰り返す、というものではありません。
血・地・霊などの関わりで性質や記憶が引き寄せられたものといえるのですが、このあたりはまたの機会に。

ですが、ここではわかりやすく従来の理解のされ方である前世・現世・未来世というひとつの縦軸としておきます。

 

何回生まれ変わった、という表現があるように、縦軸は有限といえます。
どれだけ遡っても、違う星の記憶が出てきて回数が多少増える程度です。

ところが、横軸である並行世界というのは「無限」なのですね。
SFであるようなわかりやすいきっぱり分かれた並行世界がひとつどーんとある、というわけでないのです。

まるきり違う世界もあれば、まったく変わらないように見える世界もあり、それは数えられるようなものではありません。

世界は次元と言い換えても同じことです。

 

そして、無限であることは変わらないのですが、その内では整理整頓といいますか、集約が成されているようです。

ひとりの人に焦点を当てた場合、性別・年齢・性質がまるきり違ったり、そもそも存在しなかったりといった世界はさすがに別々ですが、ほとんど同じ世界ではひとつに集約されつつあります。

乱暴な言い方をしますと、これだけ今雨続きなのは複数の世界の湿気が大集合しているから、となるわけです。
しんどいのも、複数の世界の疲れがひとつに集中しているのでいつもの何倍も疲れる、となるわけです。

 

なぜ集約されつつあるのかは、地球自体の次元上昇と関係付けることができます。
次元の上昇=波動の振幅が細やかになる、という見方をした場合です。

「ふるい」に少し粉を入れて、横に大きく揺らすと中で粉は右へ左へ動くだけでこされる量はあまり多くはありません。
ですが、その揺れ幅を小さく小刻みにしていくと、粉は中心に集まりどんどんこされていきます。

こういうことを「科学的に」表現するのは実際のところナンセンスですが(それが宇宙人クラスの高度なものであったとしても)。

まあこんな捉え方もあるよ、ということです。

 

仮に今の状況を外から見れるとしたら、これまでは分別不可能なほどに折り重なっていた層が、間隔が空いてそれぞれの世界がはっきりわかるようになってきた、といえます。

このあたりは、少し前に騒がれていた道が分岐するとか、次元がどうのこうのとかに通じる部分がありますね。
しかしながら、無為を標榜する私の立場としてはだからこうしろ、とはみなさんには言わないわけですが。

 

*

実際のところ、人の意志によってどうにかなることというのは、たとえ宇宙規模であろうと人の認識の及ぶ範囲です。
(霊的なことも含めて)法則が通用する世界にしか意志は反映されません。

そして、当然のこととして、真理はそういったものの外にあります。

 

かつては私も未来はどうなるのか、次元上昇するとどうなるのか、ということを必死でネットで漁ったり、「未来は自分で創る」という概念に惹かれたりしていました。

ですが今は、「自分の望む未来」がないので、「望む私になる方法」とか「望む未来にいく方法」にも興味がないのです。

 

念のため申し上げますが、人間の認識の及ぶ範囲、例えばこの現実世界で生きていくうえでのあれこれに関しては、意志と行動は有効ですから、そこにおいては未来も方法もあります。

この世は幻だといっても、その幻は今現在の私たちにとって意味がないというわけではありません。

 

絶対的真理(無・神・仏・タオなど)以外のものはすべて、多層的多面的であり多意義です。
ほんとうに「ある」のは真理のみでそれ以外は幻ですが、幻の中には意味があるのです。

といいますか、意味は幻の中でしか存在できません。
真理に則ると無為になるのは、真理に意味がないために意味のある行為(すなわち作為)ができないからなのですね。

 

認識の範囲を超えた絶対的真理。
極めて物理的な日々のあれこれや、並行世界などのファンタジー、そしてそれらに揉まれつつ生きている自分。

どちらか一方だけではなく、両方が矛盾なくここにあることを頭の片隅に置いておくと、バランスが取れてよいのではないかと思います。

 


<SNS>
・インスタグラム ・アメブロ


最後までお読みいただき
ありがとうございます
 
ブログランキングに参加しています
よろしければポチッとお願いいたします