内輪受けになっていたら要注意:根源の光

今回はキリスト教で聖霊といわれるような、根源からのものです。

┃根源の光のメッセージ

みすぼらしい子ども
周りの者たちは馬鹿にする

聖者 覚者
ススキの穂

規律を好む人々
戒めを嫌って戒めをつくる

靴の裏のようだ

顧みられることはなく
ただ その身をすり減らす

 

┃内輪受けになっていたら要注意

難しい、、、(^^;)

”ススキの穂”というところでは、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というのを思い出しました。
幽霊かと思ってよく見たらススキの穂だった、という意味です。

 

ということは、聖者覚者といわれているような人、今だったらスピリチュアルでいかにもわかったようなことを言っているような人、ということになりますが、、、

そういう人たちの正体は、ほとんどの場合はたいしたことない、ということでしょうか。

なかなかキツい感じですね(^^;)

 

冒頭の”みすぼらしい子ども”、というのもよくわかりませんが、、、

たんなるススキの穂だと気づいてないのは本人、それと信奉者だけで、世間の人々はわかっていてバカにしている、ということになるかもしれません。

 

そして、気づかないままに自分自身のエゴの中だけで聖なる自分・正しい自分のイメージは肥え太り、、、

実際は、人としてどんどん貧しくやせ衰えていっている、ということに、、、

 

チャネリングメッセージによけいな解釈は不要、といってしまえばそれまでですが(^^;)
なんとなく、発信したからには自分はどう受け止めたかお伝えしたい性分なので(^^;)

 

*

メッセージの示唆するものがなにかはともかく、解釈のひとつとしてお話ししたことが、スピリチュアルに居座る問題であることは確かです。

盲信・狂信という言葉がありますが、信じさせている側もわからず、信奉者もわからず、という場合がほとんどだと思います。

 

セミナーとかワークショップとかお話会とかの1対多のもの、またはセッションのような1対1のもの、、、

スピリチュアルに限ったことではなく、広く自己啓発や心理学なども含んだ「聖者と帰依者の集い」は、日々数えきれないほど開催されています。

 

内輪受けになっていないか、というのは大事なチェックポイントですね。

提供する側も受け取る側も、どちらも今の視点をもう少し広く、もう少し遠くから見るようにして、「自分たちが実際他の人たちにはどう見えているのか」というのを、考えたほうがいいかもしれません。

 

少なくとも、自分たちがしていることに批判的な意見を見ても一方的に拒否したりしないようにしていただきたいです。

こういうことがあると、レベルの低い見方しかできないと批判者をバカにしたり、専門用語を連発して論点をずらしたり、というのはよく見る光景です。

 

ふむふむ確かにこういう見方もあるよな、そう思わせるものもあったりするよな、この見方はちょっと偏ってるな、、、等々、冷静に客観的に批判を見ることができるか。

そして的を得た批判に対して、「一部の人」の責任にせずに、自分の問題として受け止めることができるかどうか。

 

宗教がもたらした悲劇は歴史上様々あるわけですが、結局そういうものの元になっているのは、自己完結してしまい、まったく他の可能性を受け入れない頑迷さにあります。

史実に残るようなことも、今まさにスピリチュアルの世界で普通に見られるようなことも、根っこは同じです。

 

だとすれば、結局は、私たち一人ひとりのごくごく地道な自分自身への問いかけが、愚かさのオンパレードである歴史を変える転換点となる、ということなのですね。

 

真摯に、地道に。

前回のトナカイさんがいっていたように、黙々と生きていきましょう。

 


・トナカイとのゆるい会話

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ちく
魂の本質 ―自由でオープン、活き活きした静けさ― を生きるためのスピリチュアルです。