とんでもない時代だからこそ淡々と今だけを生きていればいいのだとつくづく思う今日このごろ

今日は祝日ですし、だらだらと書いていきたいと思います。

 

*

この頃は「ありえないこと」がよくあるなあ、という印象があります。

工事現場とか、イベント会場とか、、、
「ありえないこと」の頻度が増していっているような、、、

そして昨日は大きな地震があり、さらには明日は11月だというのに東京は雪が降るかもしれないそうで、、、

 

過去数千年の人類の歴史上の転換点とは違う、地球にとっての大きな転換点にあるのですから、こういうこともあるのかもしれません。

小説や映画でなら、スペクタクルでハラハラドキドキで、ハッピーエンドでもバッドエンドでも、それなりに楽しめるわけですけれども。

実際に登場人物になっている私たちとしては、なかなかハードな一面もあったりします。

 

*

漠然とした不安、あるいは切迫した不安に突き動かされて冷静さを失い、とてつもなく視野が狭くなっている人が多いこの頃です。

そういう私も、といいますか、もうすべての人が同じ条件ですから、絶対的な安全地帯にいる人などいないのですよね。

それこそ、悟りを開きまくった人だって「絶対」はないわけです。
にんげんだもの。

 

とはいっても、やっぱり、にんげんなので、人間としてのいい状態でいたいじゃないですか。

みなさんもいたいですよね?
私は人間としてのいい状態でいたいです。

 

ではどうすればいいのか、となるわけですが、もうひたすら淡々といくしかないと思っています。

既に終末(=始まりですが)を迎えている今においては、ただ自分を丁寧に生きるしかないわけです。

そして迎えるのは想定内のハッピーエンドかバッドエンドか、それとも想定外のハッピーエンドかバッドエンドか、それとも想定とかなんとかを軽く吹き飛ばすくらいの超絶ウルトラエクストリームハッピーエンドかバッドエンドか、、、

 

でも、そんなことは、どうでもいいのですね。

結果などは。
「今」しかないので。

今だけ生きていればそれでいい。
(刹那主義ではなく)

 

*

この間、今に強力に集中したとき、過去や未来が流れ去っていくのが見えました。
それで、つくづく思ったのです。

ああ、ほんとうに今だけでいいのだなあ、と、、、

といっても、私が過去にしでかした数々の無残が消えるわけでも、未来への備えをやめるわけでもありませんが。

 

よく、「今ここ」とかいいますけど、これは普通に私たちが把握している過去や未来が失くなるわけではありません。

じゃあ、何で今だけなんだ、といえば、時間は連綿と続いている流れではなくて、今というつぶつぶが集まっている領域のようなものなのですね。

 

その領域を、すべてとか、全宇宙とか、全世界といっていいかもしれません。

あるいは、これこそが「時」なのだ、とも。
あるいは、これこそが「何もない(無)」ということなのだ、とも。

なんとでもいえるわけですが(^^;)

 

*

ということで、今だけに集中して生きるということは、イコールすべてにおいて生きるということで、、、

要するに、自分の本質のままに生きるということになります。

 

ちなみに今だけに生きることを、思考を止めること、という人もいます。

思考の止めることこそが悟りだ、ともいわれます。
瞑想でも、思考を止めるためにあれこれしたりします。

 

ただですね、、、
私は、普通にいわれているような瞑想は、あくまでも思考を止めた状態の練習だと思っています。

というのも、座ってやるにしろ、立ったり歩きながらやるにしろ、瞑想のときは目を閉じるか半眼になるか、何か一点だけを見るかです。

 

ですが、私たちは日常を生きています。

日常を生きていて、その日常を今において思考を止めて生きなければ、人間としていい状態とはいえないわけです。

普段の生活では、寝ているとき以外はたいがい目を開けて色んなものを見ています。
だからこそ、普段の生活の中で思考を止めて今にある状態をいかに増やしていけるか、が重要になってきます。

 

なので、私は普段から、思考を止めてただ目に入る光景を見る練習を、思いついたときにしています。

公園などの自然の景色だと気持ちいいので、私は自然の瞑想と勝手に呼んでいます。

 

普通の瞑想は内向きです。
外に向いたとしても、それはあくまでも脳内でのできごとです。

精神世界では、とかく自分の信じるものに対する頑なさ、信じるもの以外への不寛容が目立ちます。

盲信、狂信という言葉もありますが、自分のことしか見えなくなるのは、内向きの修行がその一因ではないかと思っています。

 

バランスをとるためには、実際に外に向く瞑想(のようなもの)も必要なのではないでしょうか。

といっても私は従来の修行を極めたわけではないので、感触としては、ということですが。

 

*

すっかり寒くなってしまい、タイミングをのがしてしまったのですが、、、

公園で私が自然の瞑想をするときに、みなさんとご一緒できる機会を設けられたらよいなあ、と思っていました。

完全フリーで、途中参加・途中退場可で、瞑想のあとは休憩がてらお茶しようなかあ、と、、、
すっかり寒くなってしまいましたが(^^;)

 

私側も場所の予約が必要なわけでもないですし、みなさんも参加申し込みは特に必要ないので、もしかしたら明日◯時に◯◯公園にいます、という感じで唐突にお知らせするかもしれません。

しないかもしれません(^^;)

するとしたら、詳しい場所などありますので、メルマガになると思います。
しないかもしれませんが(^^;)

 

*

とにもかくにも、基本的にはごくごく平坦に、過剰になりすぎずに、力を抜いていくのがいいと思います。

私たちの本質を、私は「自由でオープン、活き活きとした静けさ」と表現しています。
自分の本質を生きるというのは、このように生きる、ということだと思っています。

 

だらけるのではなく、力がほどよく抜けたごくごく自然の状態で日々を過ごしたいですね。

とんでもないことばかりの世の中だからこそ、それでいいのではないかと思います。

 

※自然の瞑想についてはこちらにもう少し詳しく書いてあります。
『今週のメッセージ*足をすくわれないように注意しましょう』

 


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