徹底して不完全な人間だからこそ完全への飛躍が可能となる

┃地球人だからこそ悟れる

「この人生ではとても悟ることなんてできない」

そう思っている人は多いのではないでしょうか。
ですがこれは、悟りの定義を何にするかによって違ってきます。

 

例えば見習い職人が達人となり人間国宝級になる、とすると、長年の鍛錬が必要になります。

ですが、いくら年数を経たからといって、見習い職人が全員達人になれるわけでもありません。
それこそ、来世で国宝級になろう、という感じです。

 

修行の結果としての悟りとしてしまうと、結局こういうことになります。
例えば瞑想にどれだけ熟達しているか、というように。

ですが、そもそも私たちは何を目指すのでしょうか。

 

”大いなるひとつのものから分離された(と勘違いしている)私たちが、分離と決別し再び大いなるひとつのものとなる”

私たちがほんとうに求めているものは、これだけのはずです。

そして、大いなるひとつのものが私たちの本質であるのですから、私たちの目指すところは ”自分自身を生きる” ことだとも言えます。

 

しかもそれは遠い遠い未来ではなく、人間でない別の高次存在になってからでもなく、今この肉体をもって、地球に住む地球人として可能なのです。

地球人「でも」できる、のではありません。

肉体を持って地球に住み、今のこのどうしようもない世の中をつくりあげてきたどうしようもないほどに不完全で低レベルな地球人「だからこそ」、可能なのです。

 

┃不完全から完全になるには飛躍が必要

どれだけ高次の存在であろうとも、ひとつのものから分離している限りは不完全です。
完全なのはただひとつのものだけだからです。

 

大いなるもの、唯一のもの、すべてなるもの、完全なるもの、根源、真理、至高、無、空、あるいは神、、、

表現も定義するところも様々ですが、突き詰めれば同じものを指しています。

 

そしてこの世界、この宇宙のすべての不完全なものは、完全から生み出されたのですから、本質として完全であるひとつのものです。

ですが、それは何かの修行をしていれば、道を進んでいれば、やがてたどり着くというものではありません。

そこには大きな隔絶があります。

 

スピリチュアルのあらゆる教えは、不完全と完全とを隔てるとてつもなく高い壁の手前までしかいけません。

なぜなら人の思考を超えたものを、人の思考でまとめあげた教えでほんとうに認識できるはずがないからです。

最後の最後には、どれだけ崇高な教えであったとしても、その枠を超えて、すべての概念を超えて、飛躍する必要があります。

それが自分をすべて捨てるということなのです。

 

実は私たちは日々、小さな飛躍を重ねています。

ひとつ気づくということが、ひとつ階段をのぼる、つまり小さく飛んでいることになるからです。

というのも、気づきというのはそれまでの自分の延長線上にあるのではなく、「超える」ことだからです。

 

古い自分がそのまま変化するのではなく、古い自分が死んでまったく新しい自分に生まれ変わる、ということです。

ですから、たとえどれだけ低い段差であっても、些細な気づきであっても、古い自分にとって変化は恐怖なのです。

古い自分というのは、自己中心的なエゴと、エゴが生み出す思いこみです。

 

大きな変化の前に抵抗が大きくなるのは、段差が大きいために恐れも大きくなるからなのです。

古い自分が死ぬことが恐ろしいのに加えて、超えられるのだろうかという不安もありますし、段差が高いために超えた先が見えないからです。

そして、この段差が最も激しいのが、不完全から完全への絶望的なほどに高い壁なのです。

 

┃徹底して不完全な人間だからこそ完全への飛躍が可能となる

ですが、どれだけ高い壁でも、ロケットのように大きな推進力があれば大きくジャンプできます。

ではその推進力を生み出すのは何か?
それが不完全さなのです。

 

”不完全さのゆえに完全になれる”

スピリチュアルの真理のひとつであるパラドックス(逆説)です。

 

ということは、不完全の度合いが大きければ大きいほど完全になりやすい、となりませんでしょうか。

あの苦労があったから今がある。
苦難こそが人を成長させる。

よく言われることですよね。
苦難そのものが、成長させる力になっています。

 

そして、そもそも完全なるものが不完全となった理由を考えてみてください。

完全であり完璧でありすべて満たされていたものが、それ自身を超えるために、つまり飛躍するために分離し、不完全なものとなったのです。

つまり、完全は不完全を必要としたのです。

そして、地球人である私たちは、とんでもなく不完全です。
これが、冒頭で地球人「だからこそ」といった理由なのです。

 

中途半端に完全性があると、自分に満足してしまい、すべてを捨てることが難しくなります。

神々などの天界の住人たちが変わらないのは、そのためもあります。

それに、彼らは自分たちの不完全さが足りないゆえに、完全への飛躍ができないことを知っています。

 

また、宇宙人、そして今地球にいる元宇宙人も、宇宙人としての自分に満足しているので真の完全への意志が弱い場合が多いです。

今のスピリチュアルが中途半端なのは、スピリチュアルに関わる人々のルーツも要因のひとつだったりします。

 

┃私たち一人ひとりには大いなる飛躍のDNAが刻まれている

ここまでお読みいただいて、いやいや、私はとてもそんな飛躍なんて、、、
とお思いの方がいらっしゃるかもしれません。

ですが、完全への大いなる飛躍は誰もが可能であるというのは、地球人なのですから確実です。

 

さらには、この大いなる飛躍は、私たちに、いわば本能として備わっているものです。

なぜなら、私たちの本質は完全なるものなのですから。
そして完全なるものが、より完全なるものへの飛躍を求めているのですから。

つまり、私たちの本質、私たちの最奥には、飛躍のDNAが刻まれているのです。

 

これは単なる大いなるもの、ひとつなるものへの帰還というだけではありません。

かつてひとつであったものを、さらに超越したもの。
完全な完全への合一です。

そしてそれが自分自身の本質であるがゆえに、私たち自身が私たち自身をさらに超越したものになる、ということです。

 

ますます、とんでもない、私なんて、、、とお思いかもしれません。
ですが、度々お話している通りです。

どれだけとんでもないことに思えたとしても、自分自身をよく見て日常を丁寧に送ることがすべての基盤となります。

地球人「こそ」なのですから、全身全霊をもって今の地球人としてのいのちを生ききれば、それでいいのです。

 

望むか望まないかに関わらず、私たち一人ひとりに大いなる飛躍を求めるものがあるのは確かなことです。

なぜなら、私たちの本質は、超越を求めて飛躍した完全なるものであるのですから。

さらにいえば、私たちが完全へと飛躍することは、求めるとかいうレベルどころでない、完全なるものとしての責務です。

 

あとは、ただ意志するのみです。

すべてを超越し、まったく完全である自分自身の本質にのみ、意志を向け続けることです。

この不完全な地球において、不完全な肉体と心を持つ不完全な人間として、その本質である完全の内に生きる。

これだけです。

 


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