神も人も自立するとき ― 神々の異変

最近訪れた神社でちょっとびっくりしたことがありましたので、今回はそのことについてお話しします。

┃神々の異変

ある神社で、主祭神である神が寝ていました。

摂社の稲荷神は起きていましたが、主祭神が人々の境内での様子を見たくない聞きたくないからだそうです。

また別の神社では、参拝客を温かな目で見守りつつも、願い事を神の力で叶えてあげるのはやめていました。

日本の神々に何が起きているのでしょうか。

 

人と神々の関係は、取引です。

人は敬い祀ることと引き換えに神々に利益を求めます。
神々は人に敬い祀られることを必要とし、替わりに利益を与えます。

互いに依存している関係といえます。

ですが、これは平等な関係といえるのでしょうか?
これからの新しい世界で、このような取引は必要なのでしょうか?

 

┃神々の自立

日本の神々は、地球にあわせて自分自身も変化することを決めたようです。
それは、人との取引関係から抜け出し、神が自立するということです。

といっても、神々が人とまったく関係なくなるわけではありません。
取引ではなく、互いを尊重しあう率直な意志によるほんものの関係になるということです。

これからは恩恵を与えるのも与えないのも、見守るのも見守らないのも、神々のまったくの自由意志によって行っていくということです。

 

神によっては今までどおりの関係を保つものもいるでしょうし、同じ神社の同じ神だったとしても、人によって関係性が変わってくるかもしれません。

すべてのものは一面的ではなく多面的ですし、神は元々、いろいろな存在が混じりあっているので、人が変われば神が感応する部分も変わるからです。

といっても、神々がこれまでの自分を超える一歩を踏み出したことには変わりないようです。

 

実は西洋の神々は、一足早く、春に自立の兆しをみせていました。

一神教に駆逐され忘れられた古代の神々は、既に人との取引関係がなかったために、日本の神より動きが早かったようです。

崇拝的なものがあったとしても、それは失われた文化への憧れであって、心からの信仰ではありませんでした。

 

ところが地球の変化により復活した西洋の神々は、恨みにとらわれることなく、崇敬を再び求めることもありませんでした。

彼らはかつての栄光を取り戻すことよりも、自立の道を選んだのです。

そして今、人と神のつながりが濃い日本でも、神々が新しい世界にそった神自身のあり方、神と人との関係を築こうとしています。

 

┃神々との取引をやめるとき

新しい世界、これからの世界は、すべての存在がそれぞれにまったく独立してそれぞれのあるがままでいる世界です。

それは孤立ではありません。
それぞれがまったく自立していながら、全体が調和し互いに響きあう世界です。

そこに取引はありません。

 

物質世界において物やサービスの対価を払うのは、それは提供する側、される側の健全な関係です。

ですが、霊的世界において見返りを求めて何かをするのは、真理に反しています。

神々からの恩恵は確かにありますし、いいことをすればいいことが返ってくる、ということも必ずではないですが、あります。

ですが、最初から見返りを求めるのと、結果としてそうなるのとではまるきり違います。

 

┃中途半端なスピリチュアルが歪みを生む

無条件の愛、与える愛。

これがスピリチュアルの常識だとしながら、一方で神々に対してはなぜ敬うだけでいい、感謝するだけでいい、とならないのでしょうか。

こういう傾向は宇宙の法則にも顕著に現れています。
いいことをした見返りを宇宙に求めるのは、人としてあるべき姿なのでしょうか。

 

誰もが既にすべてを受け取り満たされているといいながら、一方で神仏や石、宇宙の力によって我欲を満たそうとします。

結局、どれだけ深遠な真理も、真理から流れでた法則も、自分にとって都合のいい部分だけを切り貼りして都合よく解釈しているだけなのです。

矛盾だらけの自分に目をつむりながら。

 

これが今のスピリチュアルの最大の問題です。

徹底した物質主義の我利我利のほうが、何かひとつきっかけがあると一発逆転で気づけるのでまだましなのです。

自分はわかっている、自分は知っている、自分はやっている、と思っていると気づくことがとても難しくなります。

そして中途半端に真理や法則を取り入れた歪みは、四方八方へ広がり、自分も他人も巻き込みながらねじ曲がった方向へと進んでいくのです。

 

┃神も人も自立するとき

ところでほんとうの意味で神々が自立するには、人の意識の変革が不可欠です。
つまり、人も自立するということです。

というのも、卵が先か鶏が先かということでいえば、人が先なのです。
神々を神々として今のように規定したのは、人だからです。

神々を解放してあげましょう。
これは光を送って封じられた哀れな神を解放する、とかではありません。

一人ひとりが自分の中にある矛盾に気づいて、神々を縛るのをやめる、ということです。

 

自分自身以外のなにものも必要としない、というのが自立したものの姿です。
これは傲慢でも孤独でもありません。

なぜなら、すべてのものをあるがままに認め、すべてのものの本質は同じであるとわかったうえでの自立だからです。

 

相手をあるがままに認めるときに、自然と相手に対する敬意が生まれます。

その敬意をもって神々に対し、人や土地に働きかけをしてくれる神に対してはそのことをただありがたく感謝し受け取ればいいのです。

たとえ神が寝ていたとしても、何も働きかけてくれなくても、神の住まいに訪問しているのですから、心をこめてご挨拶をしましょう。

基本的にはただ心静かに神前で手を合わせるだけで充分です。

 

┃スピリチュアルに頼らない

何か叶えたいことがあるのなら、現実的な願い事は現実的な方法で、自分自身が実現していけばいいのです。

何をすればいいのか計画し、実行し、見直す。
極めて現実的であり、何か不思議な力が介在する必要はありません。

 

スピリチュアルなことでいえば、人の本質がすべてなるものと同じである以上、世界を創造する力もある!、ということになりますが、、、

こういう究極のことをいっているだけでは現実世界は動きませんから、実際の地道な行為が必要です。

といっても、真理を意識しないで現実的なことを見るだけですと、これまでの物質優先の社会と同じになってしまいます。

究極の真理に意志を据えつつ、地道に現実的対処を積み重ねて日々を送っていくのが賢いあり方です。

 

神頼みに限らず、願いを実現するためのありとあらゆるスピリチュアルな手法は、まったく無用です。

スピリチュアルな力を自己満足のために利用すると、実現してくれる力にとらわれてしまい、真理から遠ざかることになってしまいます。

スピリチュアルな力を駆使しているので何か高度なことをしているような錯覚に陥りますが、その内実は自己欺瞞です。

たんなる貪りなのです。

 

私も以前、こうしたことをしていたのですが、疑問を感じてやめました。
結果的には、何もしなくなってからのほうがよほど満たされています。

なぜなら自らの作為を離れてこそ、すべてのものと調和することができ、調和しているからこそ、ほんとうに必要なものが与えられるからです。

求めて得るのは普通ですが、求めずに得るのが最上の妙です。

 

┃古くからの思い込みに決別するとき

願い事にかぎらず、スピリチュアル全般にかぎらず、人のすべてにおいていえることがあります。

自分にどうしようもなく深くしみついた思い込みと、今こそ決別しなければならない、ということです。

 

先日訪れた神社の大木が、「我々は自然に合わせることにした」と言っていました。

自然というのは、地球も含む自然の流れのことです。

日本の神々は元々自然と深いかかわりがありますので、木は「我々」と表現したのだと思われます。

 

神々の意識の変化は地球の変化に合わせてのことです。
そうであれば、人も表面的ではない根本からの変化をするときです。

そのために、これまで自分自身が当たりまえとしてきたこと一つひとつを、真理に照らして検討してみましょう。

それが深い気づきにつながります。
その深い気づきが真の変化につながります。

 


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