自分をすべて捨て去ればすべてを得る:天帝

前回はキリスト教の神でしたが、今回は道教の天帝です。
同じものです。

┃天帝のメッセージ

ぐるりと回って何が見える?
ひっくり返って眺めて見よ

お前たちが是としているもの
お前たちが必死になって求めているもの

それでいいのか?

求めずとも得るのが最上の妙
もっと自然に即しなさい

ほら あの老人が言っていただろう

「無為自然」

それは自分を捨てること
自分を捨てれば自ずと得る

中途半端に自分を残しているから
ややこしくなる

全部捨てるのが最上の妙

 

┃自分をすべて捨て去ればすべてを得る

前回はキリスト教の神、つまりユダヤ教、イスラム教と共通するアブラハムの神と呼ばれるものでした。

『一時しのぎではなく永遠を目指しましょう:イエスの神』

そして今回は道教ですので古代の中国大陸で人々が認識していた万物の神です。

 

世界には様々な宗教があります。
宗教という形をとらないたくさんの教えもあります。

こうなると、人は自分が信じているもののみを良しとして、優劣をつけようとします。

ですが、これはもうずっといわれていることですが、トンデモな教えでない限り、真理とするものはひとつです。

 

前回のアブラハムの神、そして今回の天帝のメッセージに共通するものは、自分を捨てることだといえます。

アブラハムの神は、人がすべてを神自身に投げ出し神と共にあることを求めます。

そして天帝は、自分の働きを「自然(自ずから然り)」として、無為自然、つまり自分の作為をすべて捨てそのままでいることを求めます。

「無為自然」は老子の言葉です。

 

*

今は崇高な真理とされるものをみんなが知っているという状態です。

スピリチュアルにひかれている人なら、自分を捨ててすべてを任せるということを、何らかの形で実践しているのではないでしょうか。

ですが、中途半端なのですね。
結局、自分が良しとすることをしているのです。

自分が良いと思うことを自分を満たすためにしている場合がほとんどです。
「自分が良いと思うことをしている自分」を良いものとしているのですね。

 

ですが、もし「最上の妙」の望むのであれば、自分をすべて捨て去らなければなりません。

真理をマニュアルに貶めてはならないのですね。

ほんものの真理、アブラハムの神、天帝、自然、、、
あるいは無、空、、、

それらはこの世界すべての本性であり、また私たち一人ひとりの本性でもあります。

 

神とか天帝とか迷信だ、と切り捨てるのは簡単ですが、真理を示すひとつの方法であることは確かです。

もちろん、宗教が引き起こした無残はありますけど、それは人の問題で神自身の問題ではないのですね。

神だろうが天帝だろうが仏だろうが、その他なんの「たとえ」を使っていようがかまわないのです。

 

真理は人の認識を超え、言葉を超えているのですから、たとえでしか表現できません。

ですから、そのたとえに関してこれが間違っている、これが正しいとかいうのはナンセンスな話です。

真理は真理としてただ真理としてあるのですから。

 

だからこそ、大陸的な大きな器を自分に持って、良い悪いの二択から抜け出しましょう。

そしてその選択に基づく自己中心的な行為を脱しましょう。

 


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ちく
魂の本質 ―自由でオープン、活き活きした静けさ― を生きるためのスピリチュアルです。