一時しのぎではなく永遠を目指しましょう:イエスの神

神というと様々な解釈がありますが、今回はイエスが認識していた神です。

今のスピリチュアルで唯一なるもの、すべてなるもの、大いなるもの、などといわれるものです。

┃イエスの神のメッセージ

来たれ わが元に

誰も知らず 誰も顧みない

わが子とされた男
その男が説いた神を

いつからかすり替わり
会堂の埃にまみれ

人々は私から目をそむける

 

ミニチュアの人形

子供の玩具のように
人々の一時のなぐさみものとなる

ああ これほどまでに

これほどまでに
私が求めていることがわからないか

来たれ わが子よ
わが息子 わが娘よ

わが元に わが胸に
抱かれよ

 

┃一時しのぎではなく永遠を目指しましょう

私はひねくれていますが同時に単純でもあるので、その時自分の内面に浮かび上がっている前世が日常にも影響します。

やたらと鳥が食べたいなあ、と思ったら鶏がご馳走だったユダヤの少年がぶわっとでてきた、とかです。

 

チャネリングでは事前に対象を決めずにつながるので、同じ世界観が続いたりもします。
少し前までは、ギリシャを中心とした西洋の神々がたくさん登場していました。

そして今回は聖テレジアに続きキリスト教ですが、今度は真打ち登場的な感じです。

前世でキリスト教徒(カトリック)だったことが多かったので、この頃の変化に伴って、かつて垣間見た神とのつながりが強くなっているようです。

 

*

なんといいますか、人というのはどうしてもお手軽さを求めてしまうものです。
すぐに目に見える結果が欲しいのですね。

そしてそのために、あるのかないのかわからない永遠よりも、今現在、ほんのつかの間の喜びを求めてしまいます。

 

真理でさえも、その現れの一部分が取り出されて自己満足の道具にされているのが今のスピリチュアルの現状なのですが、、、

今に限らず、人というのはずっと昔から同じことを繰り返してきたのですよね。
イエスの説いた神も、ずいぶんと矮小化された存在になってしまいました。

ですが、もう、真理に立ち返らなければならないときです。

 

昔ながらの宗教を守れ、というのではもちろんありません。

今の私たちは、まったくそれぞれの人がそれぞれの自由に、それぞれが至高とするところを意志することができるのですから。

それが人によっては伝統的宗教だったり、今風なスピリチュアルの教えだったり、あるいはまったく自分自分によるものだったり、、、

他人がとやかくいうものではなく、まったくその人個人の自由です。

 

*

どんな道であったとしても、至高、最後の最後の極み、自分の最奥、、、
イエスが神といったもの、今の人たちが大いなるものというもの、、、

それを心から求めることによって、私たちは明らかに自分自身の本質を知ることになります。

 

現世利益や足が届く範囲の段階を目的とすること自体が悪いわけではありません。

ただ、その先を志すことなしに足元ばかり見ていることが、危ういということです。
限定された狭い範囲での自己満足に終わってしまうからです。

 

今見えているものだけではない、至高があることをまずは知りましょう。
そして今の自分の行いの先にあるものを、常に意志していきましょう。

そうすれば、限定された世界に留まったままでいることはありません。
一時しのぎを抜けて、永遠の安らぎへといざなわれるのです。

 


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10月16日(日)に都内でお話会を開催します。
詳細は こちら をご覧ください。


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ちく
魂の本質 ―自由でオープン、活き活きした静けさ― を生きるためのスピリチュアルです。