至高を意志し続けよ:恍惚の聖女テレジア

今回は、キリスト教の聖人で、神の歓喜に浸った神秘家テレジア(アビラの聖テレサ)です。

宗教的な言い回しがありますが、こういうものは言葉を超えたものを表現するためのひとつの方法ですので、表面的な言い回しにとらわれずにご覧ください。

┃恍惚の聖女テレジアのメッセージ

慈しみの心を持ってください

慈しみとは

哀れな人々を救うことに
満足を覚えることではありません

もしあなたが満足していたなら
それは純粋な慈しみではないでしょう

満足はどこにも存在しません

ただ神にのみあるものを

私たちが自らの行為に
見出すことができるでしょうか

あなたが何かの行為をして
それが満足につながるのならば

ただちに自らを断罪し悔い改めるのです

すべてを神に帰し

その身を投げ出すのです

 

┃至高を意志し続けよ

私たちは、どうしようもなく自己中心的です。

それは生物としてもっとも基本的な生きようとする欲求に関わることですから、すべての人が自己中心的要素を持っています。

ですから自己中心的であること自体は問題ではないのです。

 

確かに、エゴに操られて自己中心的な行為をするのは愚かなことです。

ですが、ほんとうに愚かなのは、そのことに気づけないこと、あるいは気づこうとしないことです。

報酬に目がくらんでいる状態です。
自己満足という甘い報酬です。

 

気づきの大切さが叫ばれるのも、ここのところがあるからなのですね。
自分では自己中心的だと、なかなか気づけないからです。

マインドフルネス瞑想が一般企業で採用されているのは、とてもすばらしいことですよね。

 

ところが、この目のくらみ具合が、とても激しいというか、頑固というか、、、

「私には自己中心的な行為は一切ない」と言い切っていたら、それは自分をちゃんと見ていないだけです。

頑固ではありますが、単純ですね。

 

「私がまだまだであることはわかっている、だから日々自分と向き合っている」、と言っていたら、これもまた危ない。

なぜなら、「自分のあり方」をまったく疑っていないからです。
自己中心的行為と日々闘う自分に満足しているだけで、本気で自分を変えようとしていないのです。

 

*

キリスト教の罪とは神から離れることです。
つまり、至高、大いなるもの、、、私たちの本質から離れることを意味します。

自己中心性を超えたところに本質はあります。
でも、私たちは自己中心性から逃れることはできません。

ならばどうするか。

意志するのです。

 

意志することこそが、人が他の生物との違いであり、そもそもこの大宇宙に人が存在する理由です。

至高を、本質を意志し続ける。
それが神に帰すということです。

 

たとえ自己中心に陥ったとしても、意志しつづけてさえいれば、それはさらなる気づきのために私たちに与えられた恩寵になるのです。

そこには限られた認識しか持たない人間の薄っぺらな満足が入る余地はありません。
至高の満足、テレジアの浸った至高の恍惚のみがあります。

それが自分をすべて投げ出す、つまりゆだねるということなのです。

 


*お知らせ*
10月16日(日)に都内でお話会を開催します。
詳細は こちら をご覧ください。


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ちく
魂の本質 ―自由でオープン、活き活きした静けさ― を生きるためのスピリチュアルです。