「ケルンの悪魔」と呼ばれたころの懺悔録

今日はちょっと過去世のお話をさせていただきますね。

┃自分の闇を率直に認めることができずに悪魔になった私

ドイツのケルンは、私の魂にとってはなじみのあるところです。

いい?思い出は、こちらのブログにも登場してくれたことがあるマイスター・エックハルトに関するものです。

彼の説教を聴いて、しょっちゅう恍惚として卒倒していたため、他の信者に煙たがられていました(^^;)

 

こういう、比較的害の少ない?記憶はわりとすんなり思い出します。
文字通りいい思い出とか、悲劇の主人公になれる被害者だったときの思い出とか。

一方、加害者だったり、加害者でなくても自分の奥の奥の奥に押し込められた記憶はなかなか出てきません。

 

自分にそれを受け止めるだけの準備ができていないからなのでしょうね。

普通はキーワードが浮かぶと、するすると関連したことが出てくるのですが、こういう場合はなかなか出てこないのです。

そういうキーワードのひとつが、「ケルンの悪魔」でした。

 

ところで、ケルンの悪魔に先立って、今日の日中、あることに気づいたんです。
ああ、自分はずっと女性を蔑み呪ってきたなあ、と、、、

聖書には、イブの浅はかさが原罪の原因であるように書かれています。
ユダヤのとき、それを文字通り受け取って、徹底的な女性蔑視のカルト宗教グループをつくっていたときがありました。

中国で女形だったときは、自分は女よりきれいだと女性たちをバカにしていて、恋人は当然男性でした。

日本の侍だったとき、かわいがってくれていたお殿様に結婚しないのか?と聞かれ、「女は嫌いだ」と答えていました。

 

それぞれ、単発の思い出として既に浮かび上がっていたことです。

ですが、そもそも自分はずっと、そして今もなお、女そのものに対してよくない思いを抱いていたのだと、ようやく気づきました。

現世において私は女ですが、昔から女同士のお喋りが苦手で、井戸端会議的なものにはほとんど恐怖さえ覚えるほどだったんです。

 

なるほどなーーーーーー、、、

の、後の、懺悔です。
「自分自身も含む女性たち」に対して、、、

 

そして、ケルンの修道院にいたころの話です。
私は精神がおかしくなって、地下牢に閉じ込められていました。

まあ、こういうことは、私には何度かあることなんですが(^^;)
ですが、「ケルンの悪魔」であったころの、おかしくなった主な原因は、女性への劣情でした。

男性に比べて「汚らわしい、愚かな、劣った存在である女」に対する欲情をどうしても抑えられない。
でも、そのことを絶対に認めたくない。

 

自分の中のどろどろしたもの、目を背けたいものを無理やり押さえつけることが、どのような結果を生み出すか、、、

私はもともとおかしくなりやすい性質でしたので、極端な例ではありますが、、、

それでもやはり、自分自身を率直に見て、そのまま、ありのままを認めることがどれだけ大切なことなのかが、身に沁みた次第です

 

見たものを、どうにかしようとする必要はないのですね。
ありのままを認めることが、自分自身が変わっていくプロセスそのものなのですから。

今日は合氣道の稽古だったのですが、稽古中は心のあり方を何度も確認します。
相手を動かしてやろう、と思って動かすと、全然動かないのですよね。

ところが、ただ相手と寄り添って共にまいりましょう、という心だと、、、
するするっと、何の力も入れていないのに簡単に相手が動くんです。

 

スピリチュアルの教えと同じですね。
良いも悪いもなく、敵も味方もなく、ただそのままを見て、そのままを受け入れる。

抵抗すると、「悪魔」になる場合もなきにしもあらず(^^;)

 

つい理屈に偏りがちな自分に足りないところを補おうと、この春から始めた合氣道ですが、今日は今までで一番、身に沁みた稽古になりました。

先生、ご一緒したみなさん、ありがとうございました(^^)

 


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ちく
魂の本質 ―自由でオープン、活き活きした静けさ― を生きるためのスピリチュアルです。