神=すべてなるもの=人間の本質:イエス

今回はイエス・キリストです。

┃イエスのメッセージ

あなたに冷たい風が吹き付けても
気にしてはいけない

温もりの心地よさに
安住してはいけない

ただ歩め
歩め

神にのみ寄り従い
自ら何処にいこうかと思案することなかれ

己を捨て去り
行く先をもかえりみず

ただその一歩だけを見よ

 

┃神=すべてなるもの=人間の本質

神、と出てくると宗教じみて抵抗を感じる方もいると思います。

ですが、宗教に限らずスピリチュアルの教えというのは、本来人が認識できないものを体系化して表現しているものです。

ですから、表面上の言葉をそれほど気にすることはありません。
それぞれ違っていても、いわんとしていることは結局同じだったりします。

 

ここでいう神は八百万の神ではなく、唯一の絶対神としての神です。
今のスピリチュアルで「すべてなるもの」「大いなるもの」「根源」、などと言われているものです。

そして、私たち一人ひとりの本質はすべてなるものそのものである、ということは今のスピリチュアルでは当然のように言われています。

ですが、知識としてわかっていても、それが自分自身に徹底的に沁み込んでいるわけではありませんので、日々悶々としたりするわけです。

 

ほんとうに自分のものとするには、「気づき」「悟り」を何度も何度も、重ねていくしかないのですね。

どれだけ強烈な霊的感覚を得て、あからさまに真理を知覚できたとしても、人間としてこの世で生きている限りは、たちまち暗雲に巻き込まれます。

程度の問題ともいえます。
まるきりかけ離れた状態と、すべてなるものである状態。
その間に、私たちはいます。

 

なので、ゴールはないのですよね。
もうこれで私はわかった、悟った、これで完了。
というのは、ないわけです。

なので、まったく自分を卑下する必要はないのですね。
自分はまだまだだと。

そんなことをいったら、どれだけすごい人であっても、人間であるかぎりはまだまだなのです。
完全にすべてなるものになってしまったら、形がないのですから。

 

肝心なことは、日々のあれこれに思い煩ったり、落ち込んだり、悲しんだり、怒ったり、喜んだり、驕ったりしても、それはそれでいいのだ、と思い切ることです。

受容・受け入れるということですね。
見方を変えると、手放す、ともいえます。

ひとつひとつ、気づいて、受け入れ。
気づいて、手放し。

 

なので、良いも悪いも、苦しみも喜びも、関係ないのです。

ただ、一歩一歩を重ねていくことだけなので。
やることといえば。

その際に、神にのみ焦点をあわせていれば、それで万事オッケーだ、ということです。
自分の本質が何であるか、見失しなうことさえしなければ、いいのです。

 

良いことも喜びさえも関係ないなんて、何か無味乾燥な日々のように思えますけど、そんなことはありません。

本質が喜びそのものであるからです。

しかも、とてつもなく深く、浮つくことのない落ち着いた静かな、でも自由に活き活きと躍動している歓喜です。

これが、私たち一人ひとりの本質なのです。
本質であるということは、艱難辛苦のうえにようやく辿り着く境地ではなく、最初から既に自分自身にあるということです。

 

ですから、どれだけ表面上がぐちゃぐちゃになっていたとしても、どれだけ内面が混沌としていても、大丈夫なのです。

最奥・最深の核にあるもの。
あなたの本質そのもの。

それは、まったく損なわれることなく、ぴっかぴかのつるっつるなのですから。

 


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